先日久しぶりにアドラー心理学の本を読み返しました。
相変わらずアドラー先生は痛快だなあと思いつつ、何となく今の自分に必要そうな学びがあったので記事にしたいと思います。
アドラー先生によると、自慢話をする人って劣等感を感じているらしいのです。
結局「私すごいでしょ!!!」って他人に認めてもらいたい人は、自分で自分を認められていないからなんですね。
少し耳が痛いですが、自分への戒めとして綴っていきたいと思います。
記事の内容
✔️自慢話の多い人ほど劣等感を感じている理由
✔️一人っ子である私が劣等感の塊だった話
Contents
アドラー心理学を学んで人生が変わった話
劣等感は悪いものではない
アドラー先生によると、そもそも劣等感は悪いものではないらしいのです。
人間には理想の自分にもっと近づこう!という欲求が備わっていて、その理想の自分と比べて今の自分に劣等感を感じるからこそ人は努力できる。
つまり、「努力」という健全な手段で補償しようと思える人にとっては劣等感はむしろ良いものだと言えるのです。
自慢は「できない自分」を認められないから
劣等感は「健全な手段」で補償しようとする限り、悪いものではないというお話をしました。
それでは、劣等感を健全な手段で補償する勇気がない人はどうなるのか?
それが今回のタイトルにもある「自慢話」らしいのです。
努力によって自らを変える勇気もないし、「できない自分」を認めることもできない。
そんな人はもっと安直な手段で劣等感を補償しようと考えるのです。
それが、偽りの優越感です。
自分の過去の栄光や手柄を自慢することによって、劣等感を補償しようとする。
つまり、自慢話の多い人ほど自分に自信がないということです。
承認欲求が生まれるのは自分を認められていないから
他人に褒めてもらった方が楽
ここからは私個人の見解になるのですが、最近では「SNS疲れ」という言葉がありますよね。
これって要するに「他人からどう思われているのか気にしすぎているから」だと思うんです。
やたらと「いいね」の数を気にしたり、他人にすごいと思われたいだけの投稿をしたり。
どうしてそこまで他人に認められたいと思うのか。
それは「自分で自分のことを認められていないから」なのではないでしょうか。
今の「ありのままの自分」を認めることができないから、他人に褒めてもらった方が楽なんですよね。
自由とは他者から嫌われることである
アドラー先生によると「自由とは他者から嫌われることである」らしいのです(痛快)。
他人に認めてもらいたくて、他人からどう思われているのかを気にし続ける。
そんな風に「他者の期待に応えるため」に生きる人生はとても不自由だと。
本当に自分の人生を生きるためには「他人に嫌われる勇気」が必要らしいのです。
きっと、そのためには「自分で自分を認めること」が必要なんじゃないかなあと私は思います。
他人なんて関係なしに「私はこれで良い」と思えたら、多分めちゃくちゃ幸せになれる(気がする)。
一人っ子の私が劣等感の塊だった話
大人になるにつれて「できない自分」が浮き彫りになった
ここからは私個人の話なのですが、アドラー先生の話を読んで私自身「劣等感」の塊だったなあと感じたのです。
私は一人っ子なので家の中ではずっと自分が一番だったし、自分で言うのも何ですが多分めちゃくちゃ甘やかされて育ってきました。
小中学校ぐらいまではあまり「劣等感」を感じることはありませんでした。
それは恐らく、小中学校の頃って周りの子たちも親に頼って生活しているのが当たり前だったからだと思います。
それが高校生になったあたりから急に「できない自分」と向き合わされることになりました。
周りにはアルバイトをして自分でお金を稼いだり、中には家庭の事情とはいえ一人暮らしをしているという子も出てき始めたのです。
そこで浮き彫りになったのが「圧倒的に生活力がない自分」でした。
それまでは勉強やスポーツが出来れば優秀みたいな人生だったのに、年齢を重ねるにつれて急に「人として自立しているか」に重きが置かれるようになったのです。
できない自分を認められなかった
家ではずっと一番だったし、学校の成績や運動神経も良かったので、まさか自分が周りと比べて劣っているなんて思いもしませんでした。
だからこそ急に浮き彫りになった「できない自分」を認めることができなかったのです。
もしかしたら人生で初めての挫折だったかもしれません。
できない自分を認めるからこそ成長できる
高校生で人生初の劣等感という挫折を味わった私ですが、それでも「できない自分」を認めることができないまま大人になりました。
なんだかんだ良い大学にも行けたし、公務員にもなれたので、プライドを保つことに成功したのかもしれません(恥ずかしい)。
ですが社会人になってからは更に「できない自分」が顕著に現れるようになりました。
社会に出てみれば学歴なんてほとんど関係なくて、周りには自分よりも「仕事ができる人」や「自立した人」が沢山いたのです。
そこでようやく私は「できない自分」を認められるようになりました。
不要なプライドを脱ぎ捨てることができて、とても爽快な気分です(嬉)。
それで、人って「できない自分」を認められるからこそ成長できると思うのです。
できない自分を素直に認めて、努力という健全な手段で理想の自分を目指していく。
アドラー先生のおかげでようやく真人間になれそうな気がします(ありがとう)。
面倒なプライドは捨てて素直に生きよう
アドラー心理学を学んで感じたことは、面倒なプライドは早めに捨てて素直に生きた方が絶対に幸せになれるということです。
できない自分を認められないと、ずっと変わらない自分のままなんですよね。
それにずっと他人と比べては落ち込むという負のループを抜け出せません。
自分のことをありのまま認めるからこそ変わろうと思えるし、純粋に他者のことも尊重できるようになると思うのです。
だから私は、生活力がない自分も、自立できていない自分も、全部認めてしまうことにしました。
そして、全部認めたからこそ素直に努力ができるようになったし、他人の良いところを吸収しようと思えるようになりました。
以前の無駄なプライドを着込んでいたときに比べると、格段に生きやすくなりました。
そのように自分の意識を変えられたきっかけも、アドラー心理学を学んだおかげです。
なんかめっちゃ信者みたいな締めくくりになりましたが、アドラー心理学とてもオススメなので是非読んでみてもらいたいです!